晩夏の風景

ことばと音楽、心についての散文

あなたとなにがちがうのだろう

 

こんな詞を書いた。

あなたとなにがちがうのだろう
もう二度と会えないだけのひとは
あなたとなにがちがうのだろう
もう二度と会えなくてもいいから
生きていてほしかった

ー「音のない春」

あるひとが亡くなった。後になってから、亡くなったことを人づてに知った。

お葬式には行けず、誰にも弔いを伝えられず、自分の気持ちの整理もつかずに、東武東上線に揺られて流れる桜並木をぼんやりと眺めながらこの詞を書いた。

 

わたしは泣かなかった。泣くような間柄ではなかった。でも、大切だった。

そのひとはわたしの「教え子」で、孫のような年齢のわたしを「先生」と呼んでくれていた。そしてそのひととわたしは、もともと「もう会わない」はずだった。大学に通いながら三年続けた音楽教室のボーカル講師のバイトを、大学卒業と同時に辞めることにしたのだ。

わたしはその仕事をとても好きで、小学生からシニアまでいた生徒さんみんなを(なかには面倒なタイプのひともいたけれど)とても好きだった。そのなかでもそのひとを教えるのは特に好きだった。象のような優しい目で笑って、奥さんと「愛と青春の旅立ち」や「Endless Love」をデュエットする。音程を取るのが苦手で、歌が得意な奥さんによく怒られて、楽しそうにしていた。お仕事ではある業界でとても権威のあるひとだったらしいと後で知ったけれど、そんな素振りは一切見せない謙虚なひとだった。

ほかの先生への引き継ぎ資料をつくってわたしは教室を辞めた。亡くなったと知ったのは、そのすぐあとだった。

 

もともと二度と会えないはずで、じゃあお元気でと別れて、そして二度と会えなくなった。

わたしたちが会えないことにはなにも変わらないはずなのに、偶然会えることを期待していたわけもないのに、なのにどうしてこんなに悲しいんだろう。

恋ではなく、愛でもなく、家族でも友だちでもなく、お互いの人生にほんのりと関わって、だけどもう交わらないひと。

泣かなかった。泣くような間柄じゃなかった。でも、ただ、生きていてほしかった。

会えるかどうかは関係なく、もう二度と会えなくても、どこかで普通に幸せに生きていてほしかった。ほかの先生に歌を習って、新しい曲を覚えて、奥さんと歌ってもらいたかった。

この祈りは、誰のためのものだろう。わたしがその姿を見ることはないのに。そのひとがそれを望んでいたのかも、今となってはわからない。

廃村の桜も美しいだろうか
誰にも見られずに 土に還るまで

ー「音のない春」

 

わたしは七夕になると毎年決まって同じことを願う。「あなたが優しいだれかと、笑って今日を生きていますように」。

わたしが人生でいちばん好きになって、きっともう二度と会うことはないひとの誕生日だ。

偶然にだって会いたくはない。また好きになってしまいたくないから。でも叶うなら、生きていてほしい。できたらあなたを理解してくれる優しいだれかと、笑って生きていてほしい。わたしがその姿を見ることはないけど、それだけが願いだ。

すべての出会いは世界からわたしを縁取り、時が来たらそれを残して離れてゆく。きっとそんなつもりなく、わたしの出会った彼らはわたしの一部になり、彼らの出会ったわたしは彼らの一部になった。会えなくなっても、ほんとうは生きていても死んでからもずっと変わらない。

だからこれは「わたし」へのエゴなのだろう。彼らの人生は彼らのもので、そこへはなんの効力もいらない。だけど、ただ、思うのだ。

さようなら。生きていてください。できたら、笑ってしあわせに、生きていてください。